ニセコ
気力
2010年06月28日 08:53
気力ってすごいですね。
つい先日、東京在住で、冬から夏の羊蹄山を登りたいと言っていた方の
お誘いで夏の羊蹄山登山をご案内方々登ってきました。
夏の羊蹄山登山は3度目ですが、いつも2度と登りたくない
と思うほど、標高1,898m 登山口からの標高差1,503m 歩行距離13km
の行きはよいよいですが、下山が辛いのです。
そんな中、10年前に登ったことがあるからと
お孫さんと息子さんと3世代で来たという83歳の石狩から
来たおばあ?と登りの3合目くらいで出会いました。
健常者で比較的若者の私が、厳しい登山なのに
本当に山頂まで登れるのかと思いながら
私たちが山頂から下山するときに
なんと山頂まで登ってきておりました。
しかも疲れ果てているかと思いきや、
私たちとすごく元気なおしゃべりができて大感動でした。
恐らく、登山中、行きかう人々に元気と勇気をあたえていた
のではないでしょうか。
今、日本は大変な時代に入ってきて
今後も明るい話題がない?ような雰囲気で
高齢者は社会のお荷物的なような考えもある中で
こんな方々がこれからの日本をひょっとしたら
変えていく力の源になるのではないかと思います。
人に元気をあたえることが、自分の元気につながる。
まさに極限の中でまじかに出会ったという感じです。
つい先日、東京在住で、冬から夏の羊蹄山を登りたいと言っていた方の
お誘いで夏の羊蹄山登山をご案内方々登ってきました。
夏の羊蹄山登山は3度目ですが、いつも2度と登りたくない
と思うほど、標高1,898m 登山口からの標高差1,503m 歩行距離13km
の行きはよいよいですが、下山が辛いのです。
そんな中、10年前に登ったことがあるからと
お孫さんと息子さんと3世代で来たという83歳の石狩から
来たおばあ?と登りの3合目くらいで出会いました。
健常者で比較的若者の私が、厳しい登山なのに
本当に山頂まで登れるのかと思いながら
私たちが山頂から下山するときに
なんと山頂まで登ってきておりました。
しかも疲れ果てているかと思いきや、
私たちとすごく元気なおしゃべりができて大感動でした。
恐らく、登山中、行きかう人々に元気と勇気をあたえていた
のではないでしょうか。
今、日本は大変な時代に入ってきて
今後も明るい話題がない?ような雰囲気で
高齢者は社会のお荷物的なような考えもある中で
こんな方々がこれからの日本をひょっとしたら
変えていく力の源になるのではないかと思います。
人に元気をあたえることが、自分の元気につながる。
まさに極限の中でまじかに出会ったという感じです。
未来は過去になり・・・
2010年04月06日 06:56
ちょっと今回はお墓の話ではなく横道にそれます。
今年で20年目となったニセコスーパーバンプスという
モーグルの大会のお手伝いをしてきました。
毎年ゲストで参加してくれている
バンクーバーオリンピック8位入賞の村田愛里咲選手
1991年私がまだモーグルの現役選手として頑張っていた時、
当時、モーグルという競技は世の中の人たちは誰も知らず
大会も北海道では1年に1回しかやってませんでした。
しかし、翌92年のアルベールビルオリンピックから
モーグルが正式競技として行われることが決まっており
(日本人唯一代表が私 山崎 修でした。)
しかもモーグル人口が少ないながらも増えつつありました。
そこで、少しでもモーグル選手たちの活躍の場を
増やしたいと思い、
ニセコのお世話になっているロッジのオーナーと
協力しあい91年(まだ現役時代でした)の4月のこの時期に
モーグルの大会を企画運営しました。
第一回の女子のモーグル優勝者は、まだ当時小学生の
里谷多英選手だったようです。
その数年後、彼女は長野オリンピックで金メダル
今回も全体の選手は減ったものの、将来の里谷多英・上村愛子選手のように
花開く可能性のキッズたちがいっぱい参加しておりました。
未来への希望があるから良い思い出となる過去が生まれる
世の中ずっとこの繰り返しだなあと実感しました。
良い思い出づくりは、希望への未来づくりでもあります。
今年で20年目となったニセコスーパーバンプスという
モーグルの大会のお手伝いをしてきました。
毎年ゲストで参加してくれている
バンクーバーオリンピック8位入賞の村田愛里咲選手
1991年私がまだモーグルの現役選手として頑張っていた時、
当時、モーグルという競技は世の中の人たちは誰も知らず
大会も北海道では1年に1回しかやってませんでした。
しかし、翌92年のアルベールビルオリンピックから
モーグルが正式競技として行われることが決まっており
(日本人唯一代表が私 山崎 修でした。)
しかもモーグル人口が少ないながらも増えつつありました。
そこで、少しでもモーグル選手たちの活躍の場を
増やしたいと思い、
ニセコのお世話になっているロッジのオーナーと
協力しあい91年(まだ現役時代でした)の4月のこの時期に
モーグルの大会を企画運営しました。
第一回の女子のモーグル優勝者は、まだ当時小学生の
里谷多英選手だったようです。
その数年後、彼女は長野オリンピックで金メダル
今回も全体の選手は減ったものの、将来の里谷多英・上村愛子選手のように
花開く可能性のキッズたちがいっぱい参加しておりました。
未来への希望があるから良い思い出となる過去が生まれる
世の中ずっとこの繰り返しだなあと実感しました。
良い思い出づくりは、希望への未来づくりでもあります。
ニセコ不動産大盛況
2008年04月20日 14:04