大心寺供養塔リニューアル
2014年12月12日 11:04
北海道石狩市浜益、大心寺の合祀供養塔のリニューアルさせて頂きました。
大心寺は、戊辰戦争において、連戦連勝の活躍に新政府軍から
「鬼玄蕃」と呼ばれた名将として知られている庄内藩の酒井玄藩が、
1864年に大心寺を建立したという浜益で最も古いお寺です。
今は、車で約1時間の距離にある石狩市と合併された浜益は、
約100年前から滝川〜浜益間に道があり、以来浜益と滝川間の人の行き来がありましたが、
現在は定期バスもなくなってしまいました。
高倉健さん主演の 駅(station)のロケ地である雄冬、増毛は隣村です。
供養塔のリニューアルということで、浜益の歴史を見続けてきた大心寺が、
過去と未来の絆となるような、合祀墓供養塔のデザインを考えました。
そこで、大心寺の寺門横に山積みされていた、越前笏谷石を活用する承諾を頂き
その石で外回りの柵をデザインする事にしました。
実は、私の祖父、山崎鶴吉が生前、水に濡れると緑色の美しい石肌を持ち、
札幌軟石よりも緻密な彫刻が表現できる越前笏谷石で仏像をつくりたいと希望し、
大心寺の先代住職に石を少しわけて頂けないかとお願いし、お断りをされた経緯があるくらい
先代住職にとって思い入れの深い石でした。
リフォームというのは、新規で建立するよりも、かなり手間と時間と石屋としての技術と経験が試されます。
まずは、上記写真の供養塔を解体いたします。
見た目以上に頑丈な基礎が施されており、かなり難儀いたしましたが、無事完了
かつて、浜益法務局の蔵書を保管する石蔵だった歴史のある石だったので、
なるべく、当時の石の加工した石肌を生かしました。とは言え、汚れで越前笏谷石の特徴である
薄緑色が出なかったので、昔ながらの石屋の工具を使い、石肌を整えました。
切削磨き面も美しい石なので、新旧、石加工のコラボと言った感じです。
工場で石加工と並行し、現場据付作業でしたが、11月も末になると
北海道は雪が心配でしたが、幸い今年は雪が遅く、冬将軍来道、前日にほぼ完成いたしました。
今はもうこんな感じですね。
来春には、また違った顔を見せてくれるだろう大心寺の合祀墓供養塔
春夏秋冬、大心寺にご縁のある方々の心が癒される供養塔として
山崎石材はこれからも見守っていきたいと思います。
ありがとうございます。
大心寺は、戊辰戦争において、連戦連勝の活躍に新政府軍から
「鬼玄蕃」と呼ばれた名将として知られている庄内藩の酒井玄藩が、
1864年に大心寺を建立したという浜益で最も古いお寺です。
今は、車で約1時間の距離にある石狩市と合併された浜益は、
約100年前から滝川〜浜益間に道があり、以来浜益と滝川間の人の行き来がありましたが、
現在は定期バスもなくなってしまいました。
高倉健さん主演の 駅(station)のロケ地である雄冬、増毛は隣村です。
供養塔のリニューアルということで、浜益の歴史を見続けてきた大心寺が、
過去と未来の絆となるような、合祀墓供養塔のデザインを考えました。
そこで、大心寺の寺門横に山積みされていた、越前笏谷石を活用する承諾を頂き
その石で外回りの柵をデザインする事にしました。
実は、私の祖父、山崎鶴吉が生前、水に濡れると緑色の美しい石肌を持ち、
札幌軟石よりも緻密な彫刻が表現できる越前笏谷石で仏像をつくりたいと希望し、
大心寺の先代住職に石を少しわけて頂けないかとお願いし、お断りをされた経緯があるくらい
先代住職にとって思い入れの深い石でした。
リフォームというのは、新規で建立するよりも、かなり手間と時間と石屋としての技術と経験が試されます。
まずは、上記写真の供養塔を解体いたします。
見た目以上に頑丈な基礎が施されており、かなり難儀いたしましたが、無事完了
かつて、浜益法務局の蔵書を保管する石蔵だった歴史のある石だったので、
なるべく、当時の石の加工した石肌を生かしました。とは言え、汚れで越前笏谷石の特徴である
薄緑色が出なかったので、昔ながらの石屋の工具を使い、石肌を整えました。
切削磨き面も美しい石なので、新旧、石加工のコラボと言った感じです。
工場で石加工と並行し、現場据付作業でしたが、11月も末になると
北海道は雪が心配でしたが、幸い今年は雪が遅く、冬将軍来道、前日にほぼ完成いたしました。
今はもうこんな感じですね。
来春には、また違った顔を見せてくれるだろう大心寺の合祀墓供養塔
春夏秋冬、大心寺にご縁のある方々の心が癒される供養塔として
山崎石材はこれからも見守っていきたいと思います。
ありがとうございます。